COLUMNS
アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (1/4部)
FlagshipのArchitectのReonaです!
2024年9月4日、第2回アラン・ケイ研究会を開催いたしました。今回の課題資料は、本や論文ではなく、アラン・ケイが2018年に日本で行った基調講演です。
前回の第1回研究会では、アラン・ケイの経歴を通して、彼が単なるコンピュータ・サイエンティストにとどまらず、多岐にわたる学問領域に精通し、それが革新的なアイデアや未来を切り開く力になったことを学びました。第2回となる今回は、アラン・ケイが現代のコンピュータに大きな影響を与えた背景にあるエンゲルバートの業績に迫りました。果たしてアラン・ケイが思い描いたダイナブック構想はどれだけ実現されたと言えるのか、みなさんと考えていければと思います。
Marcin Wichary from San Francisco, U.S.A. - Alan Kay and the prototype of Dynabook, pt. 5, CC 表示 2.0, リンクによる
課題として取り上げた基調講演は、2018年12月10日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された「インターネット商用化25周年 & 『The Demo』50周年記念シンポジウム『IT25・50 〜本当に世界を変えたいと思っている君たちへ〜』」の一部として行われました。講演は全編日本語字幕付きで公開されており、日本語での全文文字起こしも公開されています。また、イベントの特設ページには、このシンポジウムに関連する豊富な情報がまとめられておりますので、ぜひご確認ください。
講演の時間は約40分ですが、その内容は非常に濃密で、スライドに含まれる情報も多いので丁寧に講演を行った場合は2〜3時間に及ぶほどの内容となっています。このため、研究会のレポートは4部構成で公開することにしました。第1部は、本研究会を主催するNPO法人Talking代表の日渡さんによる講演の背景解説をお届けします。
イベントページ:IT25・50とは?
過去のアラン・ケイリバイバルプロジェクト関連記事
2024/8/26公開 | アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト始動 |
2024/8/26公開 | アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第1回レポート |
IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日渡さんによる解説)
ITday Japan. (2019, May 22). IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日本語字幕付)IT2550_Alan Kay_Keynote[Video]. YouTube.https://youtu.be/-EdLBpFjKL8
このアラン・ケイの講演は、ダグラス・エンゲルバートのコンピューター史に残るビッグデモから50周年とインターネットの商用化25周年を記念して行われたものです。エンゲルバートがコンピュータの歴史に果たした偉大な役割を解説するもので、日本ではほとんど語られることのないエンゲルバートの業績について知ることができます。見やすい動画とはなっていますが議論自体は極めて高度な内容です。アラン・ケイの講演は、アラン・ケイが語る言葉とスライドのイメージ、そしてスライドに付けられた解説文が複雑に絡み合って密度の高い議論が展開されます。理解を深めるために動画の重要なポイントをこれから解説していきます。
エポックメイキングとしての1968年(0:00~)
1968年は、コンピュータの発展史においてきわめて重要な年です。エンゲルバートの伝説的ともいうべきビッグデモがスタンフォード大学で行われ、世界初のペンベースシステムGRAILやVR技術が発表され、アラン・ケイのタブレット型教育PC「ダイナブック」のアイディアといった重要な事件がつづけざまに起こっています。
コンピュータにかかわる者にとってエンゲルバートのデモはあまりに有名ですが、エンゲルバートの抱いていたアイディアについて深く理解している人は少ないでしょう。ケイはブレット・ヴィクターとの会話を引きながら、人々はマウスやディスプレイといったエンゲルバートのテクノロジーについては語ったが、彼の真に革新的なアイディアについては興味を示さなかったと皮肉っています。
エンゲルバートの革新性(11:28~)
SRI International - SRI International, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
エンゲルバートのデモではじめて世に出たと思われている技術の多くは、実は68年以前に発表されています。1951年にMITによって世界初の対話型コンピュータWhirlwindが発表され、そのテクノロジーは1956年にSAGEという防空システムに発展します。1962年にはSketchpadで今日のコンピュータの基礎となっているオブジェクト、シミュレーション、アイコン、ウィンドウ、クリック、ズームといったアイディアが生まれます。また最初のパーソナルコンピュータLINCが開発され、1963年にはタブレット型コンピュータのThe RAND Tabletが発表されます。
以上のことからわかるように、エンゲルバートの業績の本質はテクノロジーの新しさにあるのではありません。アラン・ケイの考えるエンゲルバートの偉大さとは、それらの技術を統合するアイディアにあり、それは1962年の『人間の知性を増強するための概念的枠組み』(AUGMENTING HUMAN INTELLECT:A CONCEPTUAL FRAMEWORK)という論文に書かれています。
エンゲルバートが考えたこと(14:28~)
1940年代にエンゲルバートは海軍のレーダー技術者として働き、そこでブラウン管に出会います。ブラウン管には単なる信号(signal)だけでなく、文字や数字のような象徴(symbol)、そして全体の状況(situation)が表示されていました。このような3つの組み合わせによって機械は情報を表示できることに気づきました。また1945年のヴァネヴァーブッシュの論文でMEMEX(記憶拡張装置)のアイディアに出会い大きな影響を受けます。1950年になると初期のデジタルコンピュータを一から開発するプロジェクトに参加し、単にコンピュータがどう動くかだけでなく、どのようにコンピュータを作るか、そしてどのようにプログラムして動かすかを学びます。
冷戦の只中にあって世界の未来に不安を覚えたエンゲルバートは、アインシュタインの「問題を生み出したのと同じ水準で物事を考えても、それを解決することはできない」という言葉にあるように、人類の抱える問題を解決する新たなツールとしてコンピュータの開発に取り組みはじめます。
第二回に続きます!