COLUMNS
アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (2/4部)
FlagshipのArchitectのReonaです!
2024年9月4日、第2回アラン・ケイ研究会を開催いたしました。今回の課題資料は、本や論文ではなく、アラン・ケイが2018年に日本で行った基調講演です。
イベントページ:IT25・50とは?
課題資料の内容が非常に濃密であったため、第2回研究会のレポートはNPO法人Talking代表の日渡さんによる動画の解説3部+ディスカッションレポート1部の全4部構成でお届けすることに致しました。
本記事は、第2部となります。
アラン・ケイリバイバルプロジェクト関連記事
2024/8/26公開 | アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト始動 |
2024/8/26公開 | |
2024/10/23公開 | |
本記事 |
アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (2/4部) |
近日公開 |
アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (3/4部) |
近日公開 |
アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (4/4部) |
IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日渡さんによる解説)
ITday Japan. (2019, May 22). IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日本語字幕付)IT2550_Alan Kay_Keynote[Video]. YouTube.https://youtu.be/-EdLBpFjKL8
エンゲルバートの読んだ本(19:40~)
ここからエンゲルバートのアイディアに影響を与えた本が紹介されます。エンゲルバートがどのような本を読んでいたかは知る機会が少ないので貴重な解説です。紹介されているのは5つの書籍と1本の論文で、未翻訳の文献が多いため日本語ではアプローチできない内容もあります。
【書籍】
・An Intrduction to Cybernetics:W. Ross Ashby(邦訳:『サイバネティクス入門』篠崎武、山崎英三、銀林浩、宇野書店、1967年)
・The Measurement to Meaning:Osgood, Suci, Tennebaum(未翻訳)
・Language, Thought, and Reality:Benjamin Lee Whorf(邦訳:『言語・思考・現実』池上嘉彦訳、講談社学術文庫、1993年)
・Classification and Indexing In Science:B.C.Vickery(未翻訳)
【論文】
・Man-Computer Symbiosis:J.G.R Licklider(邦訳:「人間と計算機の共生」山形浩生訳)
これらの本でエンゲルバートは何を考えていたのでしょうか。ここからがこの講演の特に難しいところに入っていくのですが、アラン・ケイはこれらの書籍から「システム」「意味」「科学」そして「コンピュータとの共生」という4つのテーマについて話します。
エンゲルバートの考え方というのは物事を「システム」として捉えるところに特徴があります。これはサイバネティクスのフィードバックや自己組織化などが考えられます。
次に、人類が意味を形成するプロセスについて語られます。ここでは我々の言語、思考そして外界との関係が問題になります。我々が素朴に信じている外界に対する理解と、科学を通して得られる外界との理解には大きな違いがあります。我々が外界について理解していることの多くは、実際の外界のしくみとは全く違っています。天動説と地動説との違いがその良い例でしょう。この「意味」と「科学」の問題が言語学者のウォーフやコジブスキーの一般意味論から語られます。(コージブスキーの一般意味論の大著『科学と正気』Science and Sanity は未邦訳で日本語では読むことができません。コージブスキーの弟子のサミュエル・ハヤカワの『思考と行動における言語』などの文献からアプローチするしかないでしょう)
そして最後に、リックライダーの「コンピュータと人間の共生」です。心理学者のリックライダーは2つの異なる生物が共生(Symbiosis)したとき新たな関係が生まれるように、人間とコンピュータとの共生によってこれまで誰もなし得なかったような思考が可能になると予言しました。この予言は、現在でも科学と工学で実現したのみで、教育を通して広く一般に普及するまでには至ってません。
われわれは意味という言葉を何気なく使っていますが、「システム」「(一般)意味論」「科学」においてそれぞれまったく異なる「意味」を扱っています。このように構造的に物事を捉える見方がエンゲルバートの考え方の根本にあります。
エンゲルバートが目指したもの(26:13~)
エンゲルバートが目指したことのひとつが、我々の議論の能力を改善し、単に議論の勝敗でなく建設的に議論する方法を考えることでした。議論とは、そのやり方さえ正しければ、我々の思考を大きく前進させる力を持つからです。
議論をするときに陥りがちなのが、それが物語になってしまうということです。物語は、直線的な構造になっており、人々は好きか嫌いか、いわば「共感」によってしかその良し悪しを判断することができません。議論に、より複雑な構造がみいだされていくことで物語的性格が減少し、声の文化から離脱していくなかで、最終的にはシステム自体を議論できるようになります。そこではシステムの構造とその根拠を理解することで議論が進んでいきます。
人類が考えるための新しい言語、新しい道具、新しい議論の方法を発明すること。それがエンゲルバートが当時から考えてきたことなのです。
第3部に続きます!