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アラン・ケイ・リバイバルプロジェクト第2回レポート (3/4部)
FlagshipのArchitectのReonaです!
2024年9月4日、第2回アラン・ケイ研究会を開催いたしました。今回の課題資料は、本や論文ではなく、アラン・ケイが2018年に日本で行った基調講演です。
課題資料の内容が非常に濃密であったため、第2回研究会のレポートはNPO法人Talking主宰の日渡さんによる動画の解説3部+ディスカッションレポート1部の全4部構成でお届けすることに致しました。
本記事は、第3部となります。
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IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日渡さんによる解説)
ITday Japan. (2019, May 22). IT25・50シンポジウム Alan Kay基調講演(日本語字幕付)IT2550_Alan Kay_Keynote[Video]. YouTube.https://youtu.be/-EdLBpFjKL8
人類はどのように自らの思考を発展させてきたか(29:55~)
それでは人類は、自らの思考の枠組みをどのように発展させてきたのでしょうか。もともとは他の動物と同じく、ものをいじったり遊んだり探検したりする中で、偶然的に何かを発見したり、作ったりしてきました。しかし数千年前にエンジニアリングが発明されると、原理はわからないにしろ、効率的にうまくいく方法を探索できるようになり、それを記憶し書き留めることで文化的に継承してきました。そのような知見が蓄積される中で数学がうまれ、そして数百年前に科学が誕生します。このような発展の歴史の中で、わたしたちはようやく今、コンピュータというものを使い始めたのです。
科学は人間の頭脳がかかえる本質的な欠陥を回避する方法論の集大成ともいえます。科学によって新しいことを人類が発見できるのは、科学的方法や実験器具を使うことで、頭脳だけでは不可能なことを行えるからです。これらの4つの方法論を包括するのが哲学です。哲学とは、考えることについて考える技術であり、これによって人間が本来考えることが苦手な領域を考えることができるようになります。そして、これらすべてを総括する最も大きな領域がテクノロジーです。テクノロジーとは、個々の技術のような物ではなく、人間が作り出したあらゆるものをさします。そこにおいては「言語」や「書くこと」もテクノロジーの1つです。エンゲルバートにとって人類にとっての最も重要なテクノロジーとはこれらのような「思考を助ける発明」でした。
我々の世界を構成する6つのシステム(34:15~)
我々は文化の中に生まれます。狩猟最終の社会に生まれた人にとっては、我々は遺伝的に継承した能力をもとに言葉や物語を使います。都市的な生活では、より複雑な人間関係や人工物に取り囲まれることになります。しかし、われわれは実際にはさらに複雑なシステムの重なりの中にいます。なかでも「宇宙」「地球」「社会」「テクノロジー」「身体」「脳」は我々をとりまくとくに重要な6つのシステムです。そしてわれわれはこの6つのシステムが複雑に絡み合う世界の中をいきており、それぞれのシステムについてほんの一部の知識しか持ち合わせていません。
どうすれば世界をよりよいものにし、子どもたちがうまく物事を考える手助けができるのか。そしてわれわれが直面する危機を乗り越えることができるのか。それが本質的な課題です。エンゲルバートは60年以上前に「複雑で重要な問題に対処するために人類の能力を高めねばならない」と言いましたが、どのようにすれば可能なのでしょうか。
人類と道具の関係(37:42~)
それには「道具」について考えることが必要です。道具とは「手に持って何かするのに使えるもの」くらいの理解でいいでしょう。しかし道具は、使うことで私たち自身にも影響を与えます。道具を使うたびごとに何かを学び、そのことによって脳は変化していきます。これが読み書きというより洗練された道具を生み出しました。このあたりの議論はマクルーハンのメディア論を下敷きにした議論と言えます。
読み書きは人類史上最大の脳の変化をもたらしたとアラン・ケイは考えます。なぜなら読み書きは単なる記憶の補助や時空を超えて情報を伝達するだけでなく、アイディアをより強力な形で表現したり、より強力な形で学べるものにしたからです。こうしたことを文化を通して学ぶことで、我々の脳は劇的に変化したといいます。これは、アラン・ケイ特有の面白い議論で、情報の記憶や伝達よりも、アイディアの表現や学習にテクノロジーの価値を見出すきわめて斬新な視点です。
エンゲルバートはこれらの経緯をふまえて、以下のような問いを提示します。人類にとって、ここ数百年にわたって得られた強力なアイディアであるインタラクティブ・コンピュータテクノロジーに触れることはどのような影響をもたらすのか、それは良いことなのだろうかと。このテクノロジーは間違いなく我々に大きな影響を与えますが、人はそれを扱いきることができるのか。原始人に核兵器をもたせたら悲惨なことになるように、われわれにとってコンピュータテクノロジーを使うことはより大きな危険を孕んでいるのではないかということです。
我々に必要なこと(39:44~)
「人間」と「道具」とのフィードバックループはそのままでは危険なものです。エンゲルバートはこの危険に気づき、人類自身が進歩していかなければいけないと考えたのです。そこでエンゲルバートが提案するのが、スマートフォンやパソコンは気軽に使えるが、その影響は深刻であり「教育」が必要であること、そのためには新たな「方法」と「言語」が求められるということです。
この「人間」「教育」「方法」「言語」「道具」の五つの要素がシステムとして有効に結びついたとき、テクノロジーの死のスパイラルをぬけだして、新たな優れた頭脳を手にすることができる。それがエンゲルバートが1962年の論文で書いたことです。コンピュータは人類が生み出した最も優れた能力の増幅機ですが、それは新しい方法論や新しい言語を教えないまま広めてはいけない。我々がシステムの中に生き、我々もまたシステムであることを、これからの時代に生きる人は理解しなくてはいけない。
以上が、この講演でアラン・ケイが語っていたことの要約です。
次回、読書会後のディスカッションをまとめた第4部に続きます!